International Bereaved Mother's Day「国際遺族母の日」に寄せて
5月の第1日曜日は「国際遺族母の日」。
流産・死産・子どもの死を経験したすべてのお母さんを思う日です。
今年は5月4日、今日にあたります。
次の週に控える母の日。
その母の日は、もともと、自分の亡くなったお母さんを讃えるために一人の女性が創設した日です。そのお母さん自身も12人のお子さんを出産し、成人までに8人のお子さんを亡くされた母親でした。
もともと母の日はお別れした人のことを思う日であったのだと思います。
しかし、今、母の日は、お母さんにプレゼントを贈るなど楽しいイベントの意味合いが強く、またその直前の大型連休も相まって街ははなやいでいます。
流産や死産で赤ちゃんとお別れしたお母さん、お子さんを亡くされたお母さんはそんな中で悲しみを一層強め、孤独を感じ、つらい日々を過ごしているのではないか、と思います。
そんな女性たちを思い、自身も息子さんを死産で亡くされた一人のお母さんが、母の日を前につらい気持ちでいる女性たちにとって意味のある日にしたい、と願い、
5月の第1日曜日を「国際遺族母の日International Bereaved Mother's Day」としました。
お子さんを亡くされて悲しみの中にいるお母さんたち。
この日はあなたのためにあります。
あなたは母として讃えられるべき人です。
この日、話しても、泣いても、静かに過ごしてもいい。
大切なのは「ひとりじゃない」と感じられること。
そんな気持ちを伝えたくて、私たちの今の思いを綴ります。 (岩崎)
私が流産で我が子を亡くしたのは、まさに今頃でした。
上の子ども(長男)は当時4歳。夫の会社の社宅に住んでおりました。周りは弟や妹を授かる方が多く、「寺田さんちも早く」と言われていました。
2001年4月に長男から「お母さん、赤ちゃんがいる」と言われ、数日後に病院へ行ったところ、妊娠がわかり、家族で喜んでおりました。
つわりもはじまり、ゴールデンウィークを迎えたのですが、長男から「お母さん、赤ちゃんの声が聞こえなくなった」と言われまして。
連休中につわりが軽くなってきたのもあり、もしやと思い、連休明けすぐに病院へ行ったところ、お腹の中で亡くなっていました。
ゴールデンウィークは、私にとってあの頃を思い出して胸が痛くなる時期でもあります。
周りには、赤ちゃんや小さい子どもがいて、妊婦さんもおりました。しばらく外に出たくなかったのですが、長男もいるので、外に出ないわけにはいかず、本当に苦しかったです。お腹の子どもを亡くしたことで、世界の色が一気に変わり、全てがブルーグレーに見えました。
何を見ても、何をしても、世界が無彩色で。色が失われた世界。
今でも思い出すと涙が止まらなくなります。
この時期になると、胸が締め付けられるような気持ちになるのは私だけじゃないと思います。
皆さんが背負っている、悲しみや苦しみ、そしてその後抱く様々な感情を話せる場所があります。
一緒にお気持ちを共有できたらと思っております。 (寺田)
かつて病院勤務をしていた助産師です。
大切な赤ちゃんを亡くされたお母様とそのご家族のそばにおりました。
この世でなにより大切な大切な赤ちゃんを失う、世界が変わるほどの言葉にならない悲しみ。
打ちのめされるような思いに今でも涙が溢れてきます。
どうか、大切な赤ちゃんと過ごした時間がかけがえのないものでありますように。
赤ちゃんのお母様への愛が、お母様に届きますように。
「国際遺族母の日」の今日、流産死産で大切な赤ちゃんを亡くされたすべてのお母様に祈りを捧げます。 (柳)
大切な赤ちゃんを亡くされた人の悲しみは計り知れません。
天使になった赤ちゃんはあなたの心の中にいつまでも存在していますし、きっと天国であなたの存在を見守ってくれています。
お互いに存在を認め、家族を大切にする気持ちは変わりはなく、永遠なんだと思います。
存在してくれたこと、親子の関係性を作れたことに感謝と尊厳を。 (黒田)
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